遠くには、きっとここにはない、何かいいものがあるに違いない。そんな考え方が、大げさだけど、古来より日本人の心の中にあると思う。
遠方へ、まだ知らない、ここにはないものを探しに行きたいという気持ち。
そう言えば、チルチルミチルの「青い鳥」の話もあるし、これは単に世界中の人が持っている、当たり前の心情なのかもしれない。
自分の場合、この淡い幻想がとても大切で、仕事とか用事で訪れた旅先で、普段は行かないくせに、そういった場所に足を伸ばす、結構な原動力になっている。
夏の日、戻りの飛行機まで、ぽっかり時間が出来た午後、スマホで住所を調べながら西の街を歩く。
道行く人は、ちょっと彫りの深い、きりっとした、テレビの中で見るような顔立ちの人が多いように感じる。
川、というか運河なのか、それを目印に地図の通り行くと、あっさり目的地に着く。
仕事道具と下着類だけが入った小さい旅行かばんは、ぐいっと押し込むと、ちゃんとロッカーに収まった。
狭いロッカー室、しばらく横でニカニカ笑顔のおっちゃんを待たせてしまっていたから、扉をバタンと閉めて、はい、どうぞ、と言って場所を譲ると、「兄ちゃん、男前だ、部屋に行こう。」と来た。
残念ながら忘れてしまって再現できないけど、それは自分にはぐっと来る、土地の言葉だった。そして「男前」は、その場の言葉の綾だ。
若者でもおっちゃんでも、もしかしたらおネエさんでも、自分はこういう真っ直ぐな物言いに弱い。スイッチが入って、応えずにはいられない。
自分もニカっと笑って「そうしよう」ってちょっと間抜けな返事をすると、おっちゃんは、シャワーはこっち、部屋はここがいい、と勝手知ったる様子。そして、互いに満足した。
ロッカーに戻って、これから飛行機に乗って家に帰るんだ、と言うと、おっちゃんは、家は空港の近くだから、寄って行け、送ってやると言う。
名前を聞かれて、自分はいつものように、適当に短く答えたが、おっちゃんは大して珍しくない名前の漢字を説明するために、免許証やら名刺やらを見せてくる。
へぇー、とか間抜けな声を出して、自分はおっちゃんの究極の個人情報を手にしながら、ずいぶん開けっぴろげな人だな、と考えていた。
そしてふと、あぁ、怪しいもんじゃないと安心させてくれてるのかもしれないな、と思った。
名刺はもらって、免許証は返したが、生年月日によると、おっちゃんは自分と5歳か6歳しか変わらなかった。
ヘラヘラと「兄ちゃん」なんて呼ばれている自分の醸し出すいい加減な感じ。自分の嫌いな自分に気付く。
おっちゃんは、家へ一旦帰って、いっしょに晩ごはんを食べて、空港へ送る、そう言った。そして、その通り、すっかり世話になってしまった。
そして、兄ちゃん、また来たら連絡くれよ、と言われて空港で別れた。
搭乗口でアナウンスを待つ間、思い出す。
もう一度した後で、おっちゃんの昔の社員旅行の写真を楽しく見た時間。
清潔な感じだけど、独り者らしい、ちょっと物がごちゃごちゃした団地の部屋。
その後、おっちゃんとは、機会があって、一度だけ会った。