中年独りもん

会社員の男性同性愛者。

ワン玉

1月末、出張で訪れた東南アジア、いよいよ中国が段階的に自国民の出国に制限を設け始めた頃。

 

日本へ戻る時、団体の旅行客がいなくなった現地の空港は来た時より更に空いていて、いつもの喧騒と長蛇の列はなく、閑散としていた。

 

大きすぎる話し声、落ち着いて列を作れないし、たいてい何でも散らかしっぱなし、白い目で見られることが多い彼らだけど、やっぱり数の存在感というか影響力というか、思い知らされる。

 

 

1週間ほどの緩い日程の滞在中、朝コーヒーを飲みにちょっと出たり、夜コンビニへ買い物に行ったり、東南アジアの都会には子犬から成犬までそこかしこ犬がいる。

 

数年前までは、ぶらつく犬とか地べたにペターっと寝ている犬とか、目に入ったら違う道を行ったり、決して近寄らないようにしていた。

 

牙と狂犬病、東京にいる値段と名前がある犬たちと違って、警戒は常に必要なんだけど、あまりに危険が感じられなくて、もう野良犬がいる街中というものにいつの間にか慣れてしまった。

 

飼い主のいない犬たちは、皆大人しくて、屋台の近くとか、人のそばで付かず離れず、生きている。幸い仏教国なら、いじめたり殺したりしようとする人はいない。

 

毎日誰かに残飯をもらって、暑い昼間はペターっと休んで、気が向いたらぶらついて、遊び仲間や家族も充実していて、可哀そうな感じには見えない。 

 

自分は小学生の頃、一回だけ野良犬の記憶があるけど、いつ頃まで日本に野良犬っていたのかな。(捨て犬で有名な森とかではなくて)

 

貫禄たっぷりの子犬連れの母親犬をぼけっと見ていた時、ふと、あれっ犬の腹ってこんなに牛みたいなおっぱいがあったんだ、と思ってしまった。

 

ではと、すたすた歩くオス犬を真後ろから見てみると、かなり立派なワン玉をぶらぶらさせている。他のオス犬も観察するに、人間と同じ形式の3点セットのようだった。

 

日本の都会の犬たち、甘えてお腹を見せる仕草、自分のイメージにおっぱいやワン玉がない。

 

暑い国の犬で短毛だから、こんなにぶらぶらが見えるのかな、出産しないとおっぱいも発達しないのかな、とか暇つぶしにちょっと考えた。

 

東京の犬たち、人間に自分の全てを差し出して、一対一の愛情をたっぷり注いでもらって、お薬注射手術、健康的なお食事、長生きできて幸せだ。

 

街中の東南アジアの犬たち、無関心とぎりぎりの薄い愛情だけど、たくさんの人の中、なすがまま勝手に生きている。

 

薬も病院も知らず、日本よりずっと短い寿命だろうけど、ぶらぶらさせて、バカスカ子供作って、いいんじゃない? きっと幸せだ。