ジェイク・ギレンホールが出ているから、ちょっと前の映画「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」を配信で観た。
(いつもただ「ジェイク」としか頭に入ってなかったけど、今タイプしてやっと名字が覚えられた)
「ブロークバックマウンテン」の二人、男くさい、芋ハンサム顔じゃない方、目のくりっとした優しい顔立ちの方がジェイク。
ジェイクの出演している映画は、いつも必ず自分にとっての良作で、ハズレがない。
今回のジェイクは、映画だから誇張されて描かれていたけれど、芯のところが自分とよく似たクズだった。
相手の気持ちや、して欲しいことを(すごく自然に)流して、無視して、平気なクズ。
まずは自分の事。自分の仕事、自分の日常が第一で、本人は無自覚に相手を傷つける。
俺は俺で、自分をやり繰りしてるんだから、いちいち甘えたり頼ったりして来ないでよ、そっちも自分でなんとかならない?とか。
過去の自分は、言い訳として、いつもそんなふうに考えてた。
映画の中でフラッシュバックがたくさん使われていて、自分の頭の中にも、いくつもの場面、大切だった人たち、表情や台詞が巡った。
「今日はジムの日だから、また明日にしようよ、いいよね?」「電話で話すの苦手だし、週末会った時に聞くから、もう寝ない?」
せっかく目の前にいる人よりジムに行く日を守ることが大切なわけがないし、平日の夜に電話してきたのは、よほど話したかったからなんだよね。
自分もジェイクも、控えめにノックして、相手が気持ちを差し出すと、それに「無関心」っていう大きいハンコを押してつき返してた。
猿だって仲間が隣に来て、毛づくろいしてくれたら、毛づくろいをし返してあげるのに。
この世界の人達、多いのか少ないのかわからないけど、映画の中のジェイクや自分のような人がいると思う。機会があったらぜひ見てみて欲しい映画だ。
☆
実は、「雨の日は会えない、晴れの日は君を想う」という邦題は、映画の後半に出る字幕の一文。
自分は、この文の意味がわからない!と見始める前から気になっていて、(雨の日は会えない、晴れた日は会いに行く、とか、雨の日は会えない、だから雨の日は君を想う、じゃないと引っかかってしまうタチ)鑑賞中、字幕が出た瞬間、反射的に再生を止めて、画面に英文もあったので、それを読んだ。
その偶然の一時停止のおかげで、細かく綴られた小説のような映画が、自分の心にストンと着地することができた。
翻訳者は、詩的で素敵な表現を見る人に提供してくれているんだと思うけど、字幕は誤訳で、画面に出でくる手書きの英文は、相当読みにくかった。
大切な一文だから、なんとか正しく伝わって欲しいな。