数日前、志村けんさんの感染のニュースを聞いて、それから多くの人と同じように、良くなって欲しいな、死んだら嫌だな、と時よりふっと思い出したりしながら過ごしていた。
昨夜、真偽はわからないけど、彼の病歴や年齢、病院で行われている処置から、もう助からないだろうと、どこかの誰かのお医者さんの話がネット上に書かれていた。
夜部屋で独り、それを読んでいて、ああ、志村けん、死ぬんだな、苦しいのかな、可哀そうだな、と思ったら、胸の中が悲しみでいっぱいになった。
鼻水を垂らして、わんわんしゃくり上げて泣きたいような、強い悲しい気持ち、もうずっとずっと前に忘れてしまっていた感情があふれてくる。
小学生の時、嫌々通わされていた土曜日の道場、裸足になることとか、臭い道着とか、先生も好きじゃなくて、毎週行くのが嫌でたまらなかった。行く前も稽古中もよく泣いた。
でも、稽古が終わって家に帰ると、土曜の夜、志村けんがいるドリフターズの面白いテレビ番組が待っている。
兄弟で好物のカレーライスを食べて、テレビの真ん前、「PTA」に低俗番組と誹られていた「全員集合」を見ながら、道場もまあ、いいかな、なんて思う。毎週おんなじ繰り返し。
翌週の学校で、付け髭のダンスを真似ておどける友達、金曜日にはまた、道場行くの、嫌だなって思い始めて、子供の自分は子供だからバカで、おんなじ毎週を幸せにぐるぐる繰り返していた。
やけに1年が長かった事、友達の顔、中年になった今、頭の中を巡る。
そして今日、志村けんさんが亡くなった。
いろんなものに守られていたあの頃、まだ性というものがあるとも知らなかったし、たぶん不幸だってそれが何かわからなかったと思う。
バカで幸せだった子供の自分を思い出す時、遠い遠い昔で、たいていのことはもう忘れてしまった。
でも、土曜日のカレーライスとテレビの中の志村けんのことは、よく覚えている。
合掌 志村けんさん